脳腫瘍に生じる高次脳機能障害
たとえば、左の症例は右側の側頭葉から頭頂葉にかけて発生した神経膠腫です。
てんかん発作で発症しましたが、本人には全く自覚症状がありませんでした。
右利きの方で、右脳に腫瘍があったので、ことばに異常は見られませんでした。
覚醒下摘出術を行ったところ、腫瘍の外側には視野、前方には感覚に関連する領域が確認されました。
手術の後に放射線と化学療法を行い、自覚症状なく元の生活に戻られています。
さいわい放射線による後遺障害もでていません。
なぜ脳腫瘍に高次機能障害を生じるのか
脳腫瘍は暴走した細胞の集団が固まりとなって脳のなかに存在します。
脳のなかは大事な脳の機能を連絡しあう神経のネットワークが張りめぐらされています。
腫瘍だけを切り取ることができれば、障害はおこしません。
しかし、脳のなかに腫瘍があると正常の脳を壊して腫瘍を摘出しに行かなければなりません。
腫瘍を取り巻く神経のネットワークが腫瘍により損傷したり、治療により影響を受けることが機能障害発生の原因となります。
すなわち 1)腫瘍や病気自体による影響、2)手術による影響、3)抗がん剤による影響、4)放射線による影響 の4つが理由です。
手術により生じる高次脳機能障害
腫瘍がどこにあるか により手術のむずかしさ(難易度)が変わります。
腫瘍が脳の機能に直結する部位(機能野)に位置すると、病変の切除で脳機能をつかさどる神経線維を傷つけてしまいます。神経線維を傷つけず、どれだけ正確に腫瘍を取りのぞけるかで、後遺症のおこり方や治療の成績が変わります。とくに病変の正確な切除はその後の治療成績(脳腫瘍では生存期間)に直結します。
運動機能や言語機能など脳のさまざまな機能を守るために、手術では様々な工夫が行われます。
覚醒下手術(手術の途中で起きてもらい、会話したり、手足を動かしてもらいながら腫瘍を切除する技術)が脳を守るために役立ちます。
(東京女子医科大学 脳腫瘍グループにて、国内で最多の覚醒下手術を行ってきました。)
大きな腫瘍や、大事な脳の直上に位置する腫瘍の場合、腫瘍はこれら神経線維を侵食しながら成長していきます。障害をださないためには腫瘍を残さなければなりません。しかし、腫瘍が残れば再発の芽となります。
腫瘍が成長すると症状も悪化することになります。
ここで問題になるのが腫瘍の予測診断です。
悪性度は’’グレード’’で表現されます。予測グレードが’’3’’または’’4’’の場合には、5年生存率(治療から5年後に生存している確率)50%を下回ります。グレード2が予想される場合には10年生存率が50%程度とも言われています。手術での腫瘍の摘出度はこの’’生存率’’を向上させることにつながるため、安全とリスクとのはざまで手術がおこなわれることになります。
(病理診断に加え遺伝子診断による再分類が行われ、治療成績はさらに細かく分類されるようになりました)
安全を優先するなら無理せず部分的な切除にとどめます。
摘出率が低いと、放射線化学療法が効くかどうかで治療成績が影響されます。
残った腫瘍の量が多いことは、不利になります。
しっかり摘出された場合には、残った腫瘍の量が少なくなります。
同じく放射線化学療法を行いますが、成績は向上することが知られています。
ただし、手術による障害のリスクは高くなります。
これが手術による高次機能障害が発生する背景です。
放射線治療
腫瘍の細胞は正常の脳の中に入り込みます。
正常の脳を守りながら腫瘍にダメージを与える強力な武器が放射線治療です。
放射線は腫瘍への照射が主体ですが、腫瘍のまわりの正常な脳の中に隠れている腫瘍に対して放射線の照射が行われます。脳腫瘍の治療では、手術とともに大事な治療方法です。
ただし、長い時間が経つと腫瘍をとりまく正常な脳の神経のネットワークに影響を与えることになります。
放射線が照射されると
神経細胞そのものへのダメージと脳内を栄養している微小な血管へ影響がおよびます。
これを晩期放射線障害と呼び照射後数か月から何年にもわたり発生します。
白質脳症
放射線治療や抗がん剤治療を行ったあとに、大脳皮質が変化する現象です。
部分的に大脳が変化したり、脳全体が変化し壊死や萎縮が起きることもあります。
白質脳症により生じる症状の参考として
脳の機能が影響を受けると、以下のような症状を生じたことが報告されています。
過去に白質脳症を起こす可能性が高い抗がん剤としてカルモフールという薬剤での調査が行われました。
白質脳症の症状の参考として紹介します。
初発症状としては、「歩行時 のふらつき」が最も多く、次いで「口のもつれ」、「物忘れ」が起こ ります。
進行すると、様々な程度の意識障害が起こります。
カルモフール脳症 25文献例 初発症状 頻度 (%)
歩行時のふらつき 60%
口のもつれ、言語障害、構音障害 28%
物忘れ、認知症様症状 36%
動作緩慢、無動 20%
異常行動、精神症状 16%
不随意運動、振戦 12%
めまい 8%
5%以下の症状
小字症
小脳性運動失調
物が黒く見える
手足のしびれ
脳が影響を受けたときに起きる症状として参考にしてください。
サイドメモ
放射線感受性が低い脳や脊髄は、大線量100Gy程度)を照射されなければ、死滅することはありません。しかし、単純分割照射の場合、その耐用線量は45~60Gy程度です。
これは、脳が直接障害を受けるよりも、脳を構成する血管や結合織が実質細胞よりも感受性が高いため、時間の経過とともに二次的に障害されるためといわれています。
特徴的な腫瘍を紹介します
脳腫瘍に対して2000年前後から積極的に摘出が行われるようになりました。
とくにグレード2やグレード3の神経膠腫の場合に、遺伝子異常のパターンや積極的な摘出が行われたことにより、10年、20年と生存される方が増えてきています。
かつては手術は不可能と言われていた脳の場所でも、脳外科医の挑戦により長期生存を果たせることもわかりました。脳外科医は10年、20年と患者さんと時間をともにする覚悟で手術を行うように教育するようになりました。
これから紹介する画像は、難しい手術ではありましたが積極的な摘出により成績をよくすることのできた方々の症例です。
注意)手術だけでこのような結果になるわけではありません。さまざまな条件が組み合わさった結果であり、すべての患者さんが同じ結果になるわけではありません。
島回 膠芽腫 グレード4
前頭葉と側頭葉のあいだに挟まれた島状の場所にできた腫瘍
島回だけにとどまるもの、前頭葉や側頭葉まで広がるものなど様々なパターンがあります。
この場所の摘出には経験が必要になります。
症例は40歳台の左優位半球の前頭~島回~側頭葉に広がる大きな腫瘍です。
診断は膠芽腫でしたが、手術と後療法の後に10年を超えてご家族と過ごされています。
前頭葉弁蓋部 神経膠腫グレード3
言語をつかさどる優位半球の腫瘍の場合には、覚醒下手術の適応です。
腫瘍のまわりの言葉に関連する脳を保護することが求められます。
言葉をつかさどる部分を同定すること、摘出にて言語に関連する脳への
ダメージを生じないこと、が覚醒手術の目標になります。
症例は40歳台、男性です。
てんかん発作にて発症し、機能障害はありません。
摘出術のあとグレード3に準じた放射線化学療法を行い、元の生活に戻られています。
病理診断 グレード3神経膠腫 IDH1変異、1p19qLOHあり
視床 膠芽腫 グレード4
視床に発生した腫瘍の治療には、検査による予測診断、症状、腫瘍の位置やサイズにより詳細な検討が必要になります。
手術は不可能と言われていた場所ですが、摘出は可能です。
とはいえ、合併症のリスクとのバランスをよく考えた上で、挑戦する手術であることには変わりはありません。
条件が整った場合には、術後5年以上の生存を果たしている方もいます。
症例は50歳台の男性です。
無症状で見つかりましたが、腫瘍の進行が早かったため、入念な
相談の上で手術を行いました。術後に一時的な麻痺と失語が出てしまいましたが、1年近い時間をかけながら徐々に回復しました。
多少のハンディキャップは残りましたが元の仕事にも復職し3年以上再発せずに過ごされました。