私は病院が嫌いです。
一番の理由は注射が苦手。
点滴されていると、オムツをされると動けなくなるうちの犬と同じになってしまう。
それとなぜだか白衣が苦手。
きっと、幼児体験で出会った医者から植えられた記憶は、人間の本能に直結する匂いととも拒否シグナルを出しているのだと思う。
アメリカの映画でよくみられるカウンセリングの光景。
Mr & Mrs smithでは患者は自己完結型で、ただ話を聞いているだけの「置いとけ様」的なカウンセラー。
スティーブン ソダーバーグの描く「サイドエフェクト」での医薬開発の病みと現代のメディア。「光の旅人」のジェフブリックスのような、お節介なカウンセリングはたぶんめずらしいのであろう。
私はカウンセリング的な診察が好きである。コロナの時は、勉強したデータを基に、コロナの注意事項や注意しなくていい事項を伝える時間が増えた。息子さんの不登校、ご主人の愚痴、上司の悪口。そして、あとからカルテにそっと記載する。
仕事柄セカンドオピニオンの機会が多い。診察の時に、コンピューターの画面ばかりみていて、顔をみて話してくれない という医師が多いらしい。話が長くなればなるほどカルテに書くこと多くなる。しかし、聞きながらブラインドタッチで入力できるほど、慣れているわけではない。病院からは、患者一人にかける時間を短くし、なるべく外来の数を増やせといわれ、閉口した経験がある。医療もいまやビジネスなのである。
幸いなことに、私の外来には手術からずっと通ってくれる患者さんが多い。だいたい10~15年、長い方は20年である。こうなると、親戚や親友よりも長く多く顔を合わせているのである。最初は小学生だったお子さんも、大学生や社会人になっている。子供が医者に興味があるから、と診察の時に連れてきてくれたりする。
お母さんのことなんてそっちのけ。全身全霊を込めて、その子へのおせっかいなカウンセリングをしてしまうのである。だから、私は診察の時には白衣を着ない。
この写真は、ガウディのグエル公園である。かつて、ウイスキーのコマーシャルで使われた場所。この空間に、黒いマントを着たもっくんが、斜めに立ってこちらを見ているシーンが印象的だった。私の写真にはガウディがいっぱいなのである。
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